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自由を望んで冒険に生きる人たち。森永博志『ドロップアウトのえらいひと』を読む。

Dropout

誰もが望むことを真剣に望んだ結果

これまた随分以前に買った本。なぜ買ったのか覚えていない。誰かに薦められた気もするけれど、それが誰だったか忘れてしまった。でもこの本は何十年もぼくの本棚にあった。持っているのを忘れてしまう本もあるけれど、この本のことをぼくは忘れたことはない。

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なぜか、このステイホームの数か月で、改めてこの本をちゃんと読んだ。面白かった。熱い気持ちになった。この本が刊行されたのは1995年。2000年に5刷されている。ぼくがサラリーマンを辞めて独立したのは2000年7月。会社を興したのは2001年2月。その頃のぼくの心の中の何かが、この本を引き寄せたんだろうな、たぶん。

この本には「ドロップアウトのえらいひと」がたくさん出てくる。アーティスト、DJ、ミュージシャン、ショップオーナー、デザイナー、アートディレクター、まあそんな感じの「どうやって食ってるのかわからない」と思われる人たちだ。個々人のインタビューはまあ個性的で全部読んでいくとお腹いっぱいになる。

この本の読み方のキモは、一人ひとりの「えらいひと」について読み込むのではなく、いろいろな人の「ドロップアウト」をまとめて俯瞰して、「ドロップアウト」が別に問題でも何でもない事を理解するところにある。それができてから、「えらいひと」たちの個別のストーリーを楽しめばいい。

「えらいひと」たちには共通項があり、そのことは著者による「まえがき」に書いてある。むしろこの文章が一番いい。

彼らが望んだのは、競争に勝ち抜いての“出世”でも、人の上に立つ喜びを約束してくれる“地位”でも、豊かな人生を保証してくれる“資産”でも、自意識を満たしてくれる“名声”でもない。彼らが人知れず望み、まんまと手にしたのは、人に使われることのない“自由”と、不良少年のままの“友情”と、決して退屈することのない日々の“波乱”と、贅沢を超えた“快楽”と、旅に限らず“冒険”といったプライベートな“生きがい”だ。

転ばぬ先のドロップアウト

ブラボー、素晴らしい。ぼくが付け加えることはもはや何もない。この本はこのメッセージだけで十分なのだ。それをたくさんの「えらいひと」が証明する、それこそがこの本の意味なのだ。

一体なにから「脱落」するの?

「ドロップアウト」した人。どうやって食べているのか、よくわからない人。最近でもないけれど、ぼくも世間一般からは割とそれに近い感覚で理解されているのだと知った。

でもね、それって「大会社に勤めて、いろいろあるけど、頑張って勤め上げる」というのが「食べて行くこと」だという妄想に支えられているのではないかと思うんだよね。それ以外に「食べて行くこと」が想像できないというだけなんじゃないかな?

ぼくはいろいろ思うところあって、大企業を飛び出した。「ただ食べて行くこと」よりも大事なことがぼくにはあったから。ぼくはぼくが真実だと思うことを追求したかったし、虚構だと思うことを何十年もやり続けることはとてもできなかった。

青かったし、若かったけど、間違ってはいなかったと思ってる。何も後悔していない。

ぼくも「ドロップアウト」した人だと思われている。あはは。それはそうだ。「どうやって食べているかわからない人」なんだから。でもそれがぼくの誇りだったりする。

もう、ドロップアウトしなければ、一生を棒に振ることになる、と誰もが少なからず心の中では思っている。ドロップアウトとは、現実からの逃避ではない。

転ばぬ先のドロップアウト

ぼくがなにかから「ドロップアウト」したとして、逆の立場から考えると、みんなは一体なにに乗っかっているの?会社?社会?それはどんなに重要なものなの?

ぼくは今日、明日、死んでしまうかも知れない、と思って生きている。それはぼくの信条。だから自分が無意味だと思うことのために一秒の時間も使いたくないのです。その辺りの考え、哲学については以下のポストをどうぞ。

そんな風に考えるぼくだから、原子力発電所の電源交付金を女川の人達のために使う企画は考えたい。でも女川のお爺ちゃん、お婆ちゃんがぜんぜん望んでいない「原子力PR館」を作るための企画なんかできないし、考えたくもない。一切関わりたくないのです。そんな思いに駆られて広告代理店を辞めたときの気持ちはこちらのポストを。でも、若かったぼくを褒めてあげたい気分です。

“脱落”なんかじゃない、“冒険”の始まりだ

この本に描かれた「ドロップアウトのえらいひと」は、実際にはなにからも“脱落”していない。ただ自分の感性に響いた音楽や楽器やバイクやサーフィンや異国の文化にのめり込み、それを心から求めただけだ。

「ドロップアウト」したと思うのは、自分たちは「安全地帯」にいる、と思っている人だけだ。その意味でこの本は結構皮肉なタイトルだと思う。タイトルはロバート・ハリスが付けたみたい。

でも「安全地帯」なんてものは本当はないんだよ。それはこのCOVID-19のパンデミックが証明していると思わない?そして幻想の「安全地帯」から飛び出して、自由に生きることは、いつだってできるんだよ。

一番恐ろしいのは「安全地帯」にいるうちに、自分の心が求めているものがわからなくなること。心の声が聞こえなくなることだと思うよ。会社や社会が求める役割ばかりに応えていると心が枯れてしまうから。

そのことに気を付けて欲しいな、ぼくと同じオヤジ世代を含む、すべての人達に。

心が枯れないうちに、冒険しよう。日常のどこにだって冒険の可能性はある。ロードバイクに乗ったり、バイクに乗ったりするだけで日常は冒険に変わるんだよ。それに早く気づいて欲しいな。

ましてや、ドロップアウトは“脱落”ではなく、無限の可能性を秘めた“冒険”であることを、たくさんの人々のライフ・ストーリーをもって明らかにし、“自由”を望むことが自然であり、“個人”のままに生きることにも様々な方法があることを、そして何よりも、日々の生活の中で満足をおぼえなければ、いくら成功しようが出世しようが、それこそが“自分自身の人生”からの脱落者である、ということを、この本で伝えたいだけだ。

転ばぬ先のドロップアウト

自由に生きること。

これが最も重要なスピリットだ。もともとみんなそれを望んでいたはず。心の声に耳を傾けよ。心がなにも語らなくなる前に。

まだ間に合う。

オヤジたちよ、いや、すべての男子よ、ドロップアウトせよ。

この本には続編もあるみたい。「えらいひと」たちのお腹いっぱいになるインタビューが好きな人はこちらもどうぞ。

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